崇史(たかふみ)の「毎日は万華鏡」   Takafumi's kaleidoscope of days

毎日身の回りで起こる些細なこと。その中で“おやっ”と立ち止まること、“キラッ”と光ること。そんなかけらを集めてきて万華鏡を作りたい。「神は細部に宿る」とするなら、日常に世界の行方が現れているかも。そんな思いで綴る日記。

春は別れと出会いの季節

 

春は別れと出会いの季節  ハルハ ワカレト デアイノ キセツ

桜舞落ち  サクラ マイオチ

君と恋に落ちる  キミト コイニ オチル

 

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つないだ手のひらが  ツナイダ テノヒラガ

とても暖かい  トテモ アタタカイ

何だか懐かしい  ナンダカ ナツカシイ 

ずっと待っていたよ  ズット マッテイタヨ

 

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幾千年の時が織りなした  イクセンネンノ トキガ オリナシタ

この美し国  コノ ウマシ クニ

瑞穂の春に  ミズホノ ハルニ

今再び巡り会う  イマ フタタビ メグリアウ

君と僕と  キミト ボクト

巡り会う  メグリアウ

 

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古き縁は新し絆  フルキ エニシハ アタラシ キズナ

花は散れども  ハナハ チレドモ

木々はなお萌ゆる  キギハ ナオ モユル

 

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独りで生きてきた   ヒトリデイキテキタ

僕もそうなんだ  ボクモ ソウナンダ

何かに会うための  ナニカニ アウタメノ

今も旅の途中  イマモ タビノ トチュウ

 

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幾千年の時のその向こう  イクセンネンノ トキノ ソノムコウ

まだ見ぬ春の  マダミヌ ハルノ

光を追いて  ヒカリヲ オイテ

旅の続き始めよう タビノ ツヅキ ハジメヨウ

想いを一つに重ね オモイヲ ヒトツニ カサネ

今ここから始めよう イマ ココカラ ハジメヨウ

君と僕とで手をとって キミト ボクトデ テヲ トッテ

 

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春は別れと出会いの季節  ハルハ ワカレト デアイノ キセツ

桜舞落ち  サクラ マイオチ

君と恋に落ちる  キミト コイニ オチル

 

             〜詩、写真ともに 崇史〜 

 

日本人にとって春は特別な季節だ。

学校の卒業式があり、進学があり、入学式がある。

多くの会社も4月を一年の初めとしているから、

このタイミングで転勤が行われ、親に付いて転校することもある。

担任も持ちがありの場合もあるが、

大抵今までとは違った先生になる。

別れたくない人と別れ、まだ知らない人と出会う。

新しい生活が始まる。

胸がキュンとし、ハラハラ不安にもなる。

桜は、いつもその出来ごとの背景にあって、

特別な感情をこの季節に添えてくれる。

さっと咲いて、さっと散っていく。あでやかで同時に儚い。

 

この歌は春に出会った人と恋に落ちたことがあって

その時のことを歌ったものだ。実は曲も付いている。

 

輪廻転生があるのかどうか、生まれ変わりがあるのかどうか

それはわからないけれど、

日本の国が成立した頃に、世界の様々な地域から、

東の果てのこの瑞穂豊かに実る地に、

たくさんの人と文化が渡ってきた。

そんな時期に君と会っていたよね。

そして恋に落ちたよね。

どうやって別れたのかはわからないけれど

二千年の時が巡って、やっと会えたね。

そんな気がするんだ。

この懐かしさと喜びはそのせいじゃないかと。

今までは自分の居場所と役割を求めて

人や社会に群れずに独りで生きてきたけれど

君もそうだったの?

じゃぁここからは二人で歩いていかないか?

一緒に前を向いて。

今、ここからがスタートだね。

 

そんな歌だ。

歌は時として現実を素材に、現実を超えた独自の世界を

作り上げてしまう。

歌だから、こんなロマンチックさも許してほしい。

写真はいずれも昨年、神戸で撮影したもの。

 

 

Haiku in English  〜英語の俳句〜

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Melting snow falls down

from the roof, to the ground

Goddess of Spring breathing on

  by Takafumi

 

知っている方にとっては当然、でも結構知らない人がいると思われることの一つ・・・。

それは、海外で、英語で俳句を作る文化がかなり広まっていること。

17から18にかけて、アメリカのユタ州の公立高校に交換留学した時に、文学の授業で、私はそれを知ることになった。

冒頭の一句は、その頃作った一句。

ユタ州コロラドと並んで雪質が良く、スキーで有名なところ。

2002年の冬季オリンピックの会場だったことを覚えている方もおられるだろう。

ロッキー山脈の西の端に位置付けられるワサッチ山脈の麓にある。標高も高く、かなり雪が降る。

多くの雪深い里と同じく、春は本当に待ち遠しい季節だ。

屋根の雪が陽光に溶けて滑り出す。ああ、春が来たんだなぁと実感する。

 

ところで俳句がなぜ海外に広まったかというと、それは次の通りのようだ。

第二次世界大戦後、日本の文化である俳句は海外にも伝わりました。
2010年代になると、欧米、南米、中国、インド、ロシアなど、まったく文化や生活が異なる国々にも浸透し、人気を博しています。
欧米では、ローマ字で「HAIKU」、中国では「漢俳(かんばい)」という名前で呼ばれています。

俳句が海外に広まったのは、イギリス出身の文学者レジナルドブライスの功績が大きいです。彼は日本文化が大好きだったようで、第二次大戦前に英語教師として日本にやってきました。戦争が始まると敵国の人間として強制収容所送りにされましたが、なんと日本を支持して、日本国籍を取得しようとしたというから驚きです。

その後、1949年にブライスは『俳句Haiku』第1巻を出版し、英語圏に俳句を紹介しました。彼の残した俳句関連の著書には、『俳句Haiku』全4巻。俳句の歴史History of Haiku』(全2巻)があります。 

海外で人気が出た訳とは?

最大の理由は「短くて誰にでも作れるから」です。

欧米では、詩や小説などの文学は、知的エリート層のものであり、学のない庶民がやるのは「詩の堕落だ」という偏見がありました。
19世紀に有名な童話作家アンデルセンが、デンマーク語の話し言葉で小説を発表した時なども、こんな物が小説と呼べるか! と文学界から大変なバッシングを浴びたそうです。それまでの小説は修飾句を多用した文語体で書かれているのが常識だったからです。しかし、アンデルセンの登場と、その作品のヒットにより、この認識が徐々に崩れ始めていきました。

そこに俳句のような短くて簡単に作れる詩が登場し、詩の創作が誰でもできるようになったのです。

また、欧米では自然を軽視し、環境破壊などを推し進めていましたが、環境問題が地球規模で深刻化したことから、これではダメだということで、自然との調和を目指した教育が行なわれるようになっています。
俳句は季語を通して、自然と親しむことができる文化ですので、子供たちに自然の大切さを教えるのに適しています。
このような背景から、アメリカの多くの小学校で俳句が教えられるようになっているのです。

現在(2014/12/05 本稿執筆時点)では、「草枕」国際俳句大会という俳句を通して国際交流するためのイベントも日本国内で開かれるようになっています。

  俳句を海外に広めたブライス・俳句の歴史/日本俳句研究会

 

日本に帰って大学(関西学院大学)に入学したら、私たちの世代の入試対策のバイブル「試験に出る英単語」(入試までの4か月、毎日、真剣にこの本で英単語を覚え、おかげで合格できたと言っても過言ではない)の著者で都立日比谷高校の教諭だった森一郎先生が教授になっていて、英語の授業で教えて頂いた。

ちょっと感動し、心の中で手を合わせて、思わず「お世話になりました!」と言ったのだが、森先生が英語の俳句の良さを力説され、「君たちも作ってみたらいい」と勧めていたのがとても印象に残っている。森先生は「俳人」でもあった。

 

ちなみに「試験に出る英単語」はウィキペディアによると、

青春出版社)の初版の1967年以降、2006年現在までに累計1500万部を超える大ベストセラーとなり、大学受験参考書・英単語集の金字塔を打ち立てた」

という凄い教材である。

俳句と英語とアメリカと私の奇妙な縁の話。

 

 

お江戸日本橋・麒麟の翼と桜の暖簾

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先週、天気の良い日に八丁堀に寄る予定があった。次の待ち合わせが神田で、お昼をはさんで少し時間があったので、日頃の運動不足の解消も兼ねて、思いきって歩いてみた。スマートフォンの地図アプリで見ると、徒歩約40分の距離のようだ。

途中、首都高横の花王本社を過ぎ、証券会社の立ち並ぶ兜町を過ぎて進んでいくと、日本橋が近づいてきた。

 

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お江戸日本橋東海道五十三次の起点で、江戸の商いの中心だった。東野圭吾の「麒麟の翼」の舞台になっている麒麟像に近寄ってまじまじと見てみた。麒麟自身は架空の生き物のはずだが、造形はとてもリアルで今にも動き出しそうだ。明治44(1911)年の日本橋架け替え時の設置だから105年前のものだけれど、その明治という時代の意気込みや高い理想が、力強い後ろ脚やすっきりと伸びた前脚、そして飛び立つための翼を支える筋肉にそのまま脈打っている。

 

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川を渡り橋を越えると日本橋の象徴である大棚、三越がある。その入り口には、春らしい桜をあしらった暖簾が揺れていた。前の中央通りを神田側に進むとライオンが出迎えてくれる入り口にも。

 

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これだけ天候が寒かったり暖かかったりすると、なかなか素直に「春だなぁ」という気分に浸れないのだけれど、そこには確かに春風が吹いていた。粋だなぁ。

 

 

2011年3月11日と同じ日の同じ曜日に同じ場所で

 昨日木曜日、そして3月11日金曜日の今日、箱根のホテルにいた。

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重要な会合が金曜日の朝からあるので、木曜の夜8時過ぎにホテルに前乗りしたというわけ。

全くの偶然だけれど、ちょうど5年前の3月10日と11日も、僕はここにいた。

そう、あの3月11日を僕は、ここ箱根で体験した。

ホテルの宴会場の照明が天井にぶつかってガシャンガシャンと音をたてて揺れ、芦ノ湖が大きなスピーカーのようになって、湖底からゴーッという地鳴りのような音が地表に響いていた。

激震地区にいて被災した、阪神淡路大震災の時とは違う種類の恐さを感じた。

 

今回は、小田原から元箱根までバスで、その後タクシーに乗ってホテルに着いた。

九十九折(つづらおり)の坂道は右に左に何度もくねる。パソコンで会合の資料を手直ししていたら、酔ったようになって気分が悪くなった。

箱根は3月11日の地震では大きな被害はなかったはずだが、去年箱根火山の観測史上、初めて大涌谷で小さな噴火が起き、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)となったため、観光に影響が出ている。

タクシーの運転手さんによれば、噴火警戒レベルは1(平常)に戻ったが、大涌谷周辺では火山性ガスがまだ出ており、依然、人が近づくことはできないとのこと。名物の「黒たまご」も、観光活動もお預けである。

その話を聞きながら、確かに、途中、バスから見た大涌谷方面への道には交通止めのサインが出ていたのを思い出した。

そのため、大涌谷エリアにあった3軒の売店は閉鎖、宿泊施設も何件か廃業に追い込まれたところがあるのだそうだ。そこで働いていた人たちが職を失うことが起きており、地元の雇用に問題が出ているらしい。

「自然相手の商売だからしょうがない、今までは自然に恩恵を受けてきたわけだから・・・」

そう言ってしまえばそれまでだが、自然の急激な変化に人間はなかなかすぐには対応できない。

 

5年前の3月11日は、地震の後、箱根の山を降りようとしてタクシーを呼んだが、「小田原まで降りたとしても、そこから先、東京まで行く方法がないですよ。新幹線は動いていない、国道は一本で、大渋滞しているし」と言われ、止むを得ずもう一泊した。

会社のみんなはとんでもない思いをして家まで歩いて帰ったり、会社に泊まったり苦労をしたようだったけれど、そこには立ち会っていない。その代わり、一緒に山に残った人たちと、とても盛り上がらない酒を飲んだ。

次の日に1日遅れて都心に帰ってきて、駅前のスーパーに寄ってびっくりした。食料品が何もない(乾物類はあったが、それ以外がほとんどない)。その後原発の事故もあり、会社も1週間自宅待機となり、異常な緊張を強いられた日々が続いた。

そしてその記憶と感覚は、忘れてはならないもののはずだが、日常の中に薄れてしまう。というか記憶の少し奥の方の引き出しにしまわれてしまう。

 

 

10年は「10年はひと昔」、あるいは「起業後10年経てば一人前の会社」と言われるほど、意味のある時間である。

5年という年月は、10年の半分で、だからそれなりの重みがある。

 

5歳年をとったということだが、この5年は僕自身にどんな変化をもたらしたのだろうか?

どれだけのキャリアを積み増したか?

どんな能力を身に付けたのか?

何かをブラッシュアップしたり、深めたりできたか?

そもそも人間として進歩したか?

より優しくて心の広い大人の人間として成熟しただろうか?

?????????

いやー全然。

5年前よりはマシな人間になっていると思うけれど、大きな進歩を(進化を)したかと言われると自信はない。

 

5年も経っているのに。

いや、5年しか経っていないから?

 

朝起きてみると、ガーデンビューの部屋から見えたのは雪景色だった。

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湖に面するレストランからも、モノトーンの冬枯れの景色が広がっていた。

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ブラジルからニュージーランドを経由して東京の僕に届いた本

 

これまで約10年勤めてきた企業から独立したのを機に、自由な立場でブログを始めてみようと思う。

会社に勤めていても別にいつでも始めることはできたのだけれど、発言にしろ、外見にしろ、結構「自分そのもの」が前面に出て、それが商品になる仕事をしていたので、今までは会社の仕事以外の場面で「自分を出す」ことに抵抗感があった。

また、会社が打ち出している路線と違うことを個人的意見として、面と向かって(ウェブとウェブにつながっている人たちに対してだけれど)発言することは、上から二回層目にいる管理職として、はばかられた。

今は独立してしまったので、その縛りがなくなった。自分で事業をしているので月々の収入の保障はなく、リスクだらけだけれど、自己責任で自由に発言ができる。

そこで何を一番最初に書くべきか悩んだけれど、一番記憶が近いものから書いていこうと思う。

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昨日アマゾンから一冊の本が届いた。早速読んだ。文庫にして199ページの本。

ブラジルの作家、パウロ・コエーリョの『アルケミスト 夢を旅した少年』という小説だ。

1988年にブラジルで出版され、最初の日本語訳は1994年というから、もう28年も前のものだ。

今年の1月に仕事の関係で知り合ったニュージーランド人のスティーブと居酒屋で飲んだ時に、何気なく「読んでみたらいいよ」と勧められたのだ。

アルケミスト」という言葉が何を意味するかは、日本の人気漫画のせいもあるけれど、たまたま6年前に僕がコンサルティングしていた化学系の会社の存在理念をコピーライトした時に、一押しの候補に挙げた言葉だったのでよく知っている。

そう「アルケミスト」とは錬金術士。

金(きん)ではないもの、例えばこの本に描かれているように鉛から金を作り出してしまう技術を極めた(と信じられている)人たちのことだ。

あるいは、それを真剣に目指し、金は作れなかったけど、歴史的には現代の化学につながる価値ある発明や発見を行った人たちのことだ(ウィキペディアによる)。

あの時は、アメリカの現地法人から「悪いイメージもあるので理念に使うのは適切ではない」と言われ、コピーには使用しなかった。

読んでみると、スペインのアンダルシアの羊飼いの少年が、その錬金術士になる冒険を描いた本だった。

著者のパウロ・コエーリョは訳者の山川紘矢・亜希子氏によると敬虔なカソリック信者だそうで、確かにキリスト教色が色濃く全編に流れていると感じる。

ただし、舞台は途中でアンダルシアからエジプトに移り、聖地メッカへの巡礼など、イスラム教信者の行動や心情についても書かれている。

面白かったのは主人公の少年がピラミッドに行くために砂漠を横断するキャラバンに参加する場面だ。

隊長はキャラバンの出発にあたって、全員に次のように言う。

「ここには色々違った人たちが集まっている。そしてみなそれぞれ自分の神様がいる。私が仕えるのはアラーだけだ。彼の名に誓って、私はもう一度、砂漠に勝ち抜くために、できる限りのことをすると誓う。あなた方もそれぞれが信ずる神さまにかけて、どんなことがあろうと私の命令に従うと誓ってください。砂漠では、命令に従わないことは死を意味するからです」

角川文庫『アルケミスト 夢を旅した少年』パウロ・コエーリョ著 山川紘矢・亜希子訳 85ページより引用

キャラバンに参加する、いろんな人たちのそれぞれの宗教を認める態度は、今風に言えばダイバーシティを(個々の違いを)インクルージョンする(受け入れる)ことだ。

これは地球という一つの星の上で人類が共存していく上で、多分不可欠な規範だと思う。

しかし、その一方で「ここでは私に絶対的に従え」と言っている。

これは、ある特別な一定の状況下や環境下では、摂理や経験に裏打ちされたその状況や環境が求める思考や行動があり、ルールがある。それに従わなければ大きな危険に遭うと言っているのだ。

そこにはダイバーシティーとインクルージョンがあるが、皆が歩調を合わせて守らなければならないものもあるということだ。

地球という一つの生態系・システムの中で生きている以上、人間には守らなければならない共通のルールある。

例えば、二酸化酸素を発生させすぎれば、木を切りすぎれば、海や川を汚しすぎれば、人類はやがて地球で生きていけなくなる。

「そうしない」という規範に従うことも必要だ。

つまり、キリスト教的テーマだけではなく、どんな宗教に属する人たちであろうと、あるいはどんな宗教にも属さない人たちであろうと共通する、人間の普遍的なテーマを扱っている本だと思って読んだ。

圧倒的な白はない。白だけの白はない。黒があるから白がある。白があるから黒もある。どちらかが比率として多くなることは時としてあるが、長い目で見ると両者はバランスしている。

なんだかそんな話をしているような気も、途中でしてきた。

考えさせる本だった。

物語の後半では、少年はピラミッドのそばにある隠された財宝を目指して、砂漠を馬の背に揺られて横断しながら、自分の心と会話を始める。

心は、冒険の果てに失敗や死が待っているかもしれないことへの恐れを語り、愛する人のところへすぐに戻って確実な生活を送ることで得られる安心の素晴らしさを少年に語る。

これは、誰もが夢を追おうとするとき、理想を実現しようとするとき、必ずぶつかる恐れと迷いだ。

少年は、最後にはついに恐れと迷いに勝利し、心の世界の錬金術士になる。富も最愛の女性も手に入れる(実際には手に入れる前兆を感じるところで物語は終わっている)。

ニュージーランド人のスティーブは、僕が独立する状況をあまり詳しくは知らなかったと思うが、何と僕の門出を祝い、元気付ける本を勧めてくれたことか。

また、そこには、世界中で紛争と対立が絶えない時代において、人類共通の問題となるテーマも書かれてあった。

社会問題の解決に関わっていきたいと思う僕にとって、これも単なる偶然とは思えない。

 

アルケミスト 夢を旅した少年』は、このように約30年をかけて、ブラジルからニュージーランドを経由し、日本の僕に届いた本。

ぜひ主人公の少年、サンチャゴのように、僕も今日という日を、自分の心に勝利し、自分の夢を実現させる冒険のスタートにしたいものだ。

 

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)