崇史(たかふみ)の「毎日は万華鏡」   Takafumi's kaleidoscope of days

毎日身の回りで起こる些細なこと。その中で“おやっ”と立ち止まること、“キラッ”と光ること。そんなかけらを集めてきて万華鏡を作りたい。「神は細部に宿る」とするなら、日常に世界の行方が現れているかも。そんな思いで綴る日記。

ブラジルからニュージーランドを経由して東京の僕に届いた本

 

これまで約10年勤めてきた企業から独立したのを機に、自由な立場でブログを始めてみようと思う。

会社に勤めていても別にいつでも始めることはできたのだけれど、発言にしろ、外見にしろ、結構「自分そのもの」が前面に出て、それが商品になる仕事をしていたので、今までは会社の仕事以外の場面で「自分を出す」ことに抵抗感があった。

また、会社が打ち出している路線と違うことを個人的意見として、面と向かって(ウェブとウェブにつながっている人たちに対してだけれど)発言することは、上から二回層目にいる管理職として、はばかられた。

今は独立してしまったので、その縛りがなくなった。自分で事業をしているので月々の収入の保障はなく、リスクだらけだけれど、自己責任で自由に発言ができる。

そこで何を一番最初に書くべきか悩んだけれど、一番記憶が近いものから書いていこうと思う。

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昨日アマゾンから一冊の本が届いた。早速読んだ。文庫にして199ページの本。

ブラジルの作家、パウロ・コエーリョの『アルケミスト 夢を旅した少年』という小説だ。

1988年にブラジルで出版され、最初の日本語訳は1994年というから、もう28年も前のものだ。

今年の1月に仕事の関係で知り合ったニュージーランド人のスティーブと居酒屋で飲んだ時に、何気なく「読んでみたらいいよ」と勧められたのだ。

アルケミスト」という言葉が何を意味するかは、日本の人気漫画のせいもあるけれど、たまたま6年前に僕がコンサルティングしていた化学系の会社の存在理念をコピーライトした時に、一押しの候補に挙げた言葉だったのでよく知っている。

そう「アルケミスト」とは錬金術士。

金(きん)ではないもの、例えばこの本に描かれているように鉛から金を作り出してしまう技術を極めた(と信じられている)人たちのことだ。

あるいは、それを真剣に目指し、金は作れなかったけど、歴史的には現代の化学につながる価値ある発明や発見を行った人たちのことだ(ウィキペディアによる)。

あの時は、アメリカの現地法人から「悪いイメージもあるので理念に使うのは適切ではない」と言われ、コピーには使用しなかった。

読んでみると、スペインのアンダルシアの羊飼いの少年が、その錬金術士になる冒険を描いた本だった。

著者のパウロ・コエーリョは訳者の山川紘矢・亜希子氏によると敬虔なカソリック信者だそうで、確かにキリスト教色が色濃く全編に流れていると感じる。

ただし、舞台は途中でアンダルシアからエジプトに移り、聖地メッカへの巡礼など、イスラム教信者の行動や心情についても書かれている。

面白かったのは主人公の少年がピラミッドに行くために砂漠を横断するキャラバンに参加する場面だ。

隊長はキャラバンの出発にあたって、全員に次のように言う。

「ここには色々違った人たちが集まっている。そしてみなそれぞれ自分の神様がいる。私が仕えるのはアラーだけだ。彼の名に誓って、私はもう一度、砂漠に勝ち抜くために、できる限りのことをすると誓う。あなた方もそれぞれが信ずる神さまにかけて、どんなことがあろうと私の命令に従うと誓ってください。砂漠では、命令に従わないことは死を意味するからです」

角川文庫『アルケミスト 夢を旅した少年』パウロ・コエーリョ著 山川紘矢・亜希子訳 85ページより引用

キャラバンに参加する、いろんな人たちのそれぞれの宗教を認める態度は、今風に言えばダイバーシティを(個々の違いを)インクルージョンする(受け入れる)ことだ。

これは地球という一つの星の上で人類が共存していく上で、多分不可欠な規範だと思う。

しかし、その一方で「ここでは私に絶対的に従え」と言っている。

これは、ある特別な一定の状況下や環境下では、摂理や経験に裏打ちされたその状況や環境が求める思考や行動があり、ルールがある。それに従わなければ大きな危険に遭うと言っているのだ。

そこにはダイバーシティーとインクルージョンがあるが、皆が歩調を合わせて守らなければならないものもあるということだ。

地球という一つの生態系・システムの中で生きている以上、人間には守らなければならない共通のルールある。

例えば、二酸化酸素を発生させすぎれば、木を切りすぎれば、海や川を汚しすぎれば、人類はやがて地球で生きていけなくなる。

「そうしない」という規範に従うことも必要だ。

つまり、キリスト教的テーマだけではなく、どんな宗教に属する人たちであろうと、あるいはどんな宗教にも属さない人たちであろうと共通する、人間の普遍的なテーマを扱っている本だと思って読んだ。

圧倒的な白はない。白だけの白はない。黒があるから白がある。白があるから黒もある。どちらかが比率として多くなることは時としてあるが、長い目で見ると両者はバランスしている。

なんだかそんな話をしているような気も、途中でしてきた。

考えさせる本だった。

物語の後半では、少年はピラミッドのそばにある隠された財宝を目指して、砂漠を馬の背に揺られて横断しながら、自分の心と会話を始める。

心は、冒険の果てに失敗や死が待っているかもしれないことへの恐れを語り、愛する人のところへすぐに戻って確実な生活を送ることで得られる安心の素晴らしさを少年に語る。

これは、誰もが夢を追おうとするとき、理想を実現しようとするとき、必ずぶつかる恐れと迷いだ。

少年は、最後にはついに恐れと迷いに勝利し、心の世界の錬金術士になる。富も最愛の女性も手に入れる(実際には手に入れる前兆を感じるところで物語は終わっている)。

ニュージーランド人のスティーブは、僕が独立する状況をあまり詳しくは知らなかったと思うが、何と僕の門出を祝い、元気付ける本を勧めてくれたことか。

また、そこには、世界中で紛争と対立が絶えない時代において、人類共通の問題となるテーマも書かれてあった。

社会問題の解決に関わっていきたいと思う僕にとって、これも単なる偶然とは思えない。

 

アルケミスト 夢を旅した少年』は、このように約30年をかけて、ブラジルからニュージーランドを経由し、日本の僕に届いた本。

ぜひ主人公の少年、サンチャゴのように、僕も今日という日を、自分の心に勝利し、自分の夢を実現させる冒険のスタートにしたいものだ。

 

 

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)

アルケミスト―夢を旅した少年 (角川文庫―角川文庫ソフィア)