崇史(たかふみ)の「毎日は万華鏡」   Takafumi's kaleidoscope of days

毎日身の回りで起こる些細なこと。その中で“おやっ”と立ち止まること、“キラッ”と光ること。そんなかけらを集めてきて万華鏡を作りたい。「神は細部に宿る」とするなら、日常に世界の行方が現れているかも。そんな思いで綴る日記。

2011年3月11日と同じ日の同じ曜日に同じ場所で

 昨日木曜日、そして3月11日金曜日の今日、箱根のホテルにいた。

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重要な会合が金曜日の朝からあるので、木曜の夜8時過ぎにホテルに前乗りしたというわけ。

全くの偶然だけれど、ちょうど5年前の3月10日と11日も、僕はここにいた。

そう、あの3月11日を僕は、ここ箱根で体験した。

ホテルの宴会場の照明が天井にぶつかってガシャンガシャンと音をたてて揺れ、芦ノ湖が大きなスピーカーのようになって、湖底からゴーッという地鳴りのような音が地表に響いていた。

激震地区にいて被災した、阪神淡路大震災の時とは違う種類の恐さを感じた。

 

今回は、小田原から元箱根までバスで、その後タクシーに乗ってホテルに着いた。

九十九折(つづらおり)の坂道は右に左に何度もくねる。パソコンで会合の資料を手直ししていたら、酔ったようになって気分が悪くなった。

箱根は3月11日の地震では大きな被害はなかったはずだが、去年箱根火山の観測史上、初めて大涌谷で小さな噴火が起き、噴火警戒レベルが2(火口周辺規制)となったため、観光に影響が出ている。

タクシーの運転手さんによれば、噴火警戒レベルは1(平常)に戻ったが、大涌谷周辺では火山性ガスがまだ出ており、依然、人が近づくことはできないとのこと。名物の「黒たまご」も、観光活動もお預けである。

その話を聞きながら、確かに、途中、バスから見た大涌谷方面への道には交通止めのサインが出ていたのを思い出した。

そのため、大涌谷エリアにあった3軒の売店は閉鎖、宿泊施設も何件か廃業に追い込まれたところがあるのだそうだ。そこで働いていた人たちが職を失うことが起きており、地元の雇用に問題が出ているらしい。

「自然相手の商売だからしょうがない、今までは自然に恩恵を受けてきたわけだから・・・」

そう言ってしまえばそれまでだが、自然の急激な変化に人間はなかなかすぐには対応できない。

 

5年前の3月11日は、地震の後、箱根の山を降りようとしてタクシーを呼んだが、「小田原まで降りたとしても、そこから先、東京まで行く方法がないですよ。新幹線は動いていない、国道は一本で、大渋滞しているし」と言われ、止むを得ずもう一泊した。

会社のみんなはとんでもない思いをして家まで歩いて帰ったり、会社に泊まったり苦労をしたようだったけれど、そこには立ち会っていない。その代わり、一緒に山に残った人たちと、とても盛り上がらない酒を飲んだ。

次の日に1日遅れて都心に帰ってきて、駅前のスーパーに寄ってびっくりした。食料品が何もない(乾物類はあったが、それ以外がほとんどない)。その後原発の事故もあり、会社も1週間自宅待機となり、異常な緊張を強いられた日々が続いた。

そしてその記憶と感覚は、忘れてはならないもののはずだが、日常の中に薄れてしまう。というか記憶の少し奥の方の引き出しにしまわれてしまう。

 

 

10年は「10年はひと昔」、あるいは「起業後10年経てば一人前の会社」と言われるほど、意味のある時間である。

5年という年月は、10年の半分で、だからそれなりの重みがある。

 

5歳年をとったということだが、この5年は僕自身にどんな変化をもたらしたのだろうか?

どれだけのキャリアを積み増したか?

どんな能力を身に付けたのか?

何かをブラッシュアップしたり、深めたりできたか?

そもそも人間として進歩したか?

より優しくて心の広い大人の人間として成熟しただろうか?

?????????

いやー全然。

5年前よりはマシな人間になっていると思うけれど、大きな進歩を(進化を)したかと言われると自信はない。

 

5年も経っているのに。

いや、5年しか経っていないから?

 

朝起きてみると、ガーデンビューの部屋から見えたのは雪景色だった。

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湖に面するレストランからも、モノトーンの冬枯れの景色が広がっていた。

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